社会人になってから「夏休み」は、子供のころと比べると、その嬉しさも和らいでいる人が多いかもしれませんが、それでも、年度初めの慌ただしさも落ち着いたころ、年度終盤に向けて体を休めるにはちょうどいいタイミング。

お盆に帰省して、久しぶりに家族や友人と再会した人もいるでしょうし、大好きな人と旅行に出かけた人もいるでしょうね。

久しぶりに羽を伸ばして日常の煩わしさから解放されて自由だな、、、と思う時間を過ごせるわけです。

けれども、、、なぜか気持ちが晴れないなんてこと、ありませんか?

大好きな人たちと一緒にいるはずなのに
自由な時間を過ごしているはずなのに

「こんな楽しい時間がいつまでも続くはずない、、、」と、ふと昔のことが頭をよぎって、不安に駆られることってありませんか?

 

仲のいいお友達と遊びにいっても
気の合う仕事仲間と一緒にいても
好きな人と肌を合わせても

何か満たされないものを感じます。

その人を大切だと思えば思うほど
「私の前からいなくなる、、、」

そんな得体のしれない気持ちに取りつかれ、人と本音で話すことができません。
人と向き合おうとなんどチャレンジしてみても、激しい動悸に襲われて言葉が出なくなってしまいます。

本気で人に向き合うことができません。
当たり障りのない話題で、その場を盛り上げようとする自分にも嫌気がさします。

 

そんな人にありがちな記憶。

小学生4年生。それまで仲が良かった友達に突然無視をされはじめ、卒業まで学校になじめなかった記憶。

中学から成績は中の下。試験結果を親にみせるたび「お姉ちゃんは賢いのに、、、」と学校でもトップクラスの姉と比べられていた記憶。

大学生のとき。付き合っていた彼氏から突然の別れ話。サークルの同級生で高校時代からの私の親友を好きになったからだと告白されたときの記憶。

 

大事な人との関係性に亀裂が入った記憶が、それ以降の人間関係に影響を与えてしまう。

「好き」という気持ちが一変。
「好き」と裏腹の「嫌われる」という気持ちに混乱し、混乱した状態が記憶として刻み込まれるからです。

大好きな人であればあるほど、そのギャップに苦悩し、場合によっては逃避に走ります。

「私は人に嫌われても仕方のない人間だから」
出来る限り傷つかないように自己解釈していくのです。

つまり、あらかじめ自分を貶めておくことで、自己防衛をするわけです。

 

けれども、それを積み重ねれば重ねるほど、大人になってから付きまとうものがあります。
「私はダメな人間だから」「私は嫌われものだから」

一方で、誰かに認めてもらおうと一生懸命がんばるのです。
「ダメな私は人より頑張らないと」「嫌われないように明るく振る舞わないと」

といって。

 

【中途半端なポジティブシンキングでは自己卑下はなくなりません。むしろ悪化させます】

 

哀しいかな。
自己卑下を、言葉や態度だけで「なんとかしよう」とふるまっても、うまくいきません。

いわゆる「ポジティブシンキング」は、中途半端では機能しないのです。むしろ危険。

本気で「ポジティブ」ならいいのです。
けれども、中途半端なポジティブシンキングは「ダメな私」「嫌われる私」を上塗りするに過ぎない行為です。

大事なことは、「言葉」も「行動」も「感情」も、「ポジティブ」であること。

それには、小さな成功体験を積み重ねることです。特に、感覚的に「ポジティブ」が捉えられるようになること。

 

どんな小さなことでもかまいません。
それを「嬉しい」「楽しい」と素直に感じるだけです。

たとえば

満員電車のなか立っていたら、目の前の席が空いて嬉しい!
いつも昼時に混んでいるコンビニのレジがすいていて嬉しい!
いつもよりほんの少しオシャレをして街をウィンドーショッピング、楽しい!
ちょっと早起きしたら、涼しくて天気がよかったから公園で散歩。気持ちいい!

大それたことを考える必要はないのです。
ほんの些細な日常を、喜ぶだけです。

 

そうした喜びの記憶が、過去の「ダメな私」の記憶を超えるのです。
「喜べる私」を認めるたびに。

hug-1315545_1280

 

 

 

心と体を「健やか」にするおはなし

いつもの何気ない日常生活にちょっとした彩をそえるための、心と体を「健やか」にするおはなしを、月2回のメールマガジンにて配信しております。