そうですね、、、当たり前に、普通に、「性」や「命」の話ができるようになれば、そもそも「性愛」や「性教育」などという言葉を敢えて定義する必要はなくなるでしょう。

ただ、すくなくとも未だ社会的には当たり前にない「性愛」をセラピストのテーマとして掲げるなかで、助産師でもない私が「性教育」をどのように捉えるのか、を考えてみたのです。

 

「性」や「愛着」の研究についても有名なフロイトやボウルビィの概念を参照しても、やはり私にとっての「性」は、コミュニケーションの一端であることに変わりないことを、改めて自覚しました。

セックスも命のお話も同じこと。

私にとっては、生物学的カラダの機能をどのような「マインド」で受け入れるのか、ということに尽きるわけです。

つまり知識云々よりも、それを捉える個人の心の状態によると、つくづく感じるわけです。

 

医師の話だから、、、
助産師の話だから、、、
〇〇セラピストの話だから、、、

というのではなく、個人が、どんな「性」であろうと真摯に受け止める土壌を持ち、自分なりに受け止めたことをシェアできることが大事なのだと思います。

知ったところで、自分だけの知識で終わるならば、「タブー」が家庭や社会から消えることには、なりませんから。

 

でもだからこそ、それにはまず「当たり前」に「性」を語れる場が必要です。

そして少なくとも、社会の最小単位で、どんなテーマでも円滑にコミュニケーションをとれることが大事なのだと思うわけです。

 

夫婦・親・子供との関係を含めた、「家族」という社会の最小単位において「コミュニケーション」をしていきましょう。

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当たり前に普通に家庭で話す「性」の話も
家庭という社会に身近にある「命」の話も

結局は、それを語る人の「在り方」を魅せることに尽きるわけですから。

 

 

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