子供の「構い方」についての私の一つの見解。
「放っておく」という態度の重要性。

 

マズローが提唱した、とても有名な「欲求の5段階」という仮説があります。

5段階目:自己実現の欲求
4段階目:承認の欲求
3段階目:所属(社会的)の欲求
2段階目:安全の欲求
1段階目:生理的欲求

そうですね、、、親が子供にできることは、【2段階目】までが限界だと思うのです。

 

つまり

「食べる」「寝る」という生命維持活動に必要とされる「生理的欲求」

身を守るための「場所」の確保のために必要とされる「安全の欲求」

ぐらいまでしか、親は関われないと思うのです。

 

そしてこれは

カラダの仕組みとして、ホルモンバランスが整い始める「思春期」の終わりごろ、「自」と「他」の区別を得られる時期となり、また、「お金」を自力で得て社会的に管理可能とされる一般的年齢を、「子供」の境界とした場合の私の仮説です。

(もちろん、このような年齢境界を決めるのも変な話ですが、、、もし仮に、ということで収めてください ^^;)

 

さて。

時々、子供の「所属(社会的)欲求」に親が介入しようとします。

つまり、「学校」であったり「就職」であったり「恋愛」であったりに、「親の常識」などといわれる拘束を以ての介入です。

もちろん、親側は「良かれ」と思ってのこと。

けれどもそれは「子供の欲求」を満たすためなのではなく、「親」側が持つ不安の解消に過ぎないのです。

 

社会生活を営むことが一般的に制限されている子供に対してでも、親にできることは「生理的欲求」と「安全の欲求」を満たす「お手伝い」ぐらい。

主体は「子供」であり、親は「できそう」か「できそうでない」のかを見極めて、手放すタイミングを図るだけ

 

つまり、「生理的欲求」や「安全の欲求」の分野を構成する様々な項目のうち、何かを抜粋して一定期間の放置をしてみる。

そうして「もう少し時間が必要だな」と思えば、改めて「お手伝い」をするのであり、また、放置しても子供が自らの手で「できる」のであれば、その分野のその項目からは手を引くべきなのです。

少しずつ、親が手伝えることを減らしていくのです。

子供とて「やる」ことをしないで、出来るようにはならないのですから。

 

「子供」は「子供」

そんな境目の区別を親の方がつけるからこそ、子供は「自分で立つ」という自立の道を歩みやすいのだと、私は思うのです。

 

さてさて。
「思春期で反抗期」などと豪語する、小学校5年生の我が娘。

私「写真とらせて~」
娘「いいよ~」
私「ホンマに思春期か?!」
娘「そうや~。思春期に反抗期や!!」

相も変わらず、寝床にお気に入りのぬいぐるみを携えて、、、

私「どこが思春期やねん?!」

まあ、そこは心の声ということで(笑)

 

いつでも冒険に出られうように、私は「安心安全の場」であろう。

そんなことを改めて誓う、ある日の夜でした。

 

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