表情と感情

「感情」が「表情」を創るのか
「表情」が「感情」を創るのか

自分がどんな「表情」をするのか、知ってみたいと思いました。そして、どれだけの「感情」をそこに表出しているのかを、見てみたいと思いました。

もし、「私」というものが自分で見えるとするならば、それは、こうして客観的に見ることが出来たとき。
まるで他人が見ているように見えるときであり、「自分」という枠から外れてわかるものだからです。

人は「己」のことを、実はよく知らないものなのです。
 

話は変わりますが、、、
最近はジャンルを問わずに本を読むことが多くなり、その影響から、たくさんの衝撃的な「ことば」に出会うことが多くなりました。

そして、そんな「ことば」に出会う度に鳥肌が立つのですが、、、

ひとつ、ご紹介したいと思います。
「マッハの原理」という物理学における理論だといって書かれていたことばです。

 

<ある物体の質量は、その物体のまわりのすべての物体との関係できまる。他に何もない空間の中では、ある物体の質量には、何の意味もない>

 

私は学生の頃、化学も物理も、ほとんど勉強した記憶がありません。
ですから、私の解釈は全くの個人的なものであり、果たしてマッハが言わんとしていた趣旨に応じているのかは、、、物理学者でもありませんし、ましてや、科学者でもありませんから、そこは、ご容赦を。

ただ、この「ことば」を読んだとき、ふと頭を過ったのです。

「もし「私」足らしめるものがあるとするならば、それは「私以外」のものが存在するからなのだ。「私」とは、「私以外」の存在の中でしか存在しないのだ、、、」

 

その人の表情に「悲しみ」という感情を見たとしても、それは、あくまでも、見た人が創り上げたもの。それは必ずしも「悲しい」を表しているとは、限らないのです。

もちろん、「嬉しい」という感情を見たとしても、それは、あくまでも、見た人が創り上げたもの。それは必ずしも「嬉しい」を表しているとは、限らないのです。

<自分が「伝えたかったこと」ではなく、相手に伝わったことが100%>

どんな感情でさえ、それが伝わらなければ無意味と化し、コミュニケーションのギャップは広まるばかり。
けれども、自分の内側を他人に表現する手段は「言語」と「非言語」の二つのみ。

「伝えたいこと」を、言語や非言語に置き換えて、表現をしなければなりません。

 

ということは、、、

「表情」が「感情」を創る

相手が見た「表情」から推察された「感情」が、まさに、「今のあなたの「感情」」であるということ。

そして、仕方がないのです。
もし、そこにコミュニケーションのギャップが生じたとしても。
あなたの表現が、必ずしも相手に伝わっているとは、限らないのですから。

 

 

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