「嬉しい」とか
「怒り」とか
「悲しい」とか
「楽しい」とか

そんな「感情」を表現するとしても、そこには「誰か」がいるから成り立つのです。

 

少し思いめぐらせてほしいと思います。

もし「悲しんでいる」自分がいて、パートナーも家族も仲間も、、、誰もがみな、そんな「悲しんでいる」自分を見て見ぬふりで無視をして素通りしたならば、、、

それでも「悲しい」自分を、変わらず表現しているでしょうか。

目の前を、素通りするのです。
たとえ、どれだけ泣いていたとしても。

 

きっと、「悲しい」自分を表現していることが、「無意味」であることに気づくことでしょう。

 

さて一方で、このようなことも言われております。

<人の行動には、必ず、建設的な意図(目的)がある>

 

つまり

悲しむことでさえ
怒ることでさえ
怖れることでさえ

そこには、その人なりの建設的な何らかの「意図」があるのだと。

そして、その「意図」を満たすために、人は「行動」をするのだと。

たとえそれが、「ネガティヴ」だと言われるような行動でさえ。

 

如何でしょう。

もし、「苦しい感情」や「怒りの感情」「悲しい感情」に苛まれているとしたならば、「そのような感情を持つ」という、その「行動」に秘められた「意図」を探しみては。

いくら無意識的であろうとも、行動には、必ず満たしたいものがあるのです。

 

その「行動」によって、何らかのメリットを享受しているハズ。

それが分かれば、、、もう少し。

無用な感情に支配されることが、なくなることでしょうから。

 

 

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